リーダーの責任の話
えーと。
「運動部に学ぶリーダーの責任」なんて銘打ってエントリーした挙句、端々で言うべきことをすっ飛ばして書いてしまって、さらには自分の気分に任せて否定的な物言いで論議を(論議って呼べるほどのものでもないけど)展開したせいで、なんか色々批判をもらったので、ちょっと反省していますキュウモトですこんにちは。
私のエントリーを読んだうちの社長にも、「批判は批判しかよばない」と言われて、私としては何を批判したつもりも、誰を攻撃したつもりもないのに、でも多くの方がそんな風に受け取った感じは確かに受けていて、ああやっぱりコトバが全然足りてなかったのだなあと思い、自分の自己満足的な記事を出来る限り客観的な視点で見直してみました。
「運動部に学ぶリーダーの責任」なんて銘打ってエントリーした挙句、端々で言うべきことをすっ飛ばして書いてしまって、さらには自分の気分に任せて否定的な物言いで論議を(論議って呼べるほどのものでもないけど)展開したせいで、なんか色々批判をもらったので、ちょっと反省していますキュウモトですこんにちは。
私のエントリーを読んだうちの社長にも、「批判は批判しかよばない」と言われて、私としては何を批判したつもりも、誰を攻撃したつもりもないのに、でも多くの方がそんな風に受け取った感じは確かに受けていて、ああやっぱりコトバが全然足りてなかったのだなあと思い、自分の自己満足的な記事を出来る限り客観的な視点で見直してみました。
そしてまず思ったのは、「運動部」という言葉を安易に使いすぎたな、ということです。
半生を競技に捧げてきた私にとって、「運動部」というのは「目的達成をシビアに求める集団」としてすんなり置き換えられましたが、その認識というのは、たとえば部活で結果を残さないと退学に追い込まれる立場の特待生であったり、その道でプロになること以外将来が見えない一本気な選手であったり、そこまではいかなくても、競技で結果を残すためだけに学校を選んで生活時間のすべてを捧げてきた人間であったり、「とにかく結果を残さずに終えるわけにはいかない」という圧倒的なプレッシャーのもとで競技に励んだことのある人間特有のものなのだと思います。
多くの人にとって運動部としての「勝ちたい」という気持ちは、単なる努力目標とかただの希望といった認識なのだと、トラックバックを頂いた方のエントリーを読んだり、あるいはうちの社長と話したりして、気がつきました。偉そうなこと書いてるわりに、読み手のことを配慮していないダメな私でした。すみません。
そして、「運動部」が「目的達成をシビアに求める集団」としてすんなり置き換わらない人が読んだときに、私のエントリーが「運動部のようにがちがちに縛ってやるべし」と言っているような印象を受けるのも、「複雑に入り組んだビジネス社会に適合させるのは難しい非現実的な甘い言い分」だと思われるのも、納得できました。私にとっては、それは完全に誤認なのですが、でもそういう風に捉えられても仕方のない書き方をしたと思います。
「強いチームを作るには、上下関係は必要です」と書いたのも、決して「強い企業を作るには、上下関係が必要です」という意図ではなく、あくまでも、まだまだコドモである高校生の部活動レベルで『緊張感を保持』するための象徴的な方法論として表題的に謳った言葉です。企業において、必ずしも「上下関係」が緊張感の保持の方法として取り上げられるべきだとは私も思っていません。
それから、「俺の背中を見て育て法」に関しては、勢い任せにネーミングしたせいで、かなり本質を見落とされる結果になってしまいました。これは完全に私の過失です。すみません(すみませんっていうのも変かな)。
「俺の背中を見て」なんて言うと、まるで寡黙で不器用なリーダーが黙々と頑張っている姿が目に浮かびますが、これは、端的に言えば「自発的にモチベーションを向上させる法」という意味でした。
その方法は、リーダー自らが頑張っている姿を見せることであったり、時には叱咤の言葉であったり、リーダーとその下にいる人間とのコミュニケーションの中で自然にメンバーが頑張ろうと思える環境をつくる、という意味です。「俺の背中を見て」という表現は、その意味合いを非常に狭義に捉えさせてしまうもので、ここに結構大きな誤解を生んだ気がします。
重複になりますが、
これまでのエントリーで私が言いたかったことをもう一度。
「運動部」という概念を取り除いて説明させていただきます。
まず、前提として、「企業は、目的の達成をシビアに求められる組織である」というところを挙げます。
(もしもこの時点で首をひねられる方は、このへんの記事をいくら読んでも納得はいかないと思うので、また別の機会に。)
そして、企業の理想像は「リーダーが掲げるビジョンにメンバーが共感し、個々が高いモチベーションを維持しながら目的達成に向けて邁進している」ということだと私は考えています。そしてリーダーには、その理想像を追求する義務があるとも思っています。
つまりは「先見の明(企業が健全に発展し持続していくための的確な判断力)」や「求心力(メンバーとのコミュニケーションの中での自然なモチベーション管理能力)」の研鑽です。
しかし実際は、企業という複雑に入り組んだ大きな組織においては、ビジョンの共有や、全員が高いモチベーションを維持することはとても難しいはずです。リーダーがいかに研鑽を積もうとも、規模の拡大や企業としての段階の変化に応じて、求められる能力も変化し続けるわけですから。
つまり、管理能力が及ばずビジョンを共有できない者、モチベーションがとぎれた者を単純に排除するわけにもいかず、包括した状態で「目的達成に向けて邁進」しなければいけないことが多くなってくるわけです。
そしてここからが、私が先日までのエントリーで伝えようとしてうまくいかなかったところなのですが。
そういう「管理能力が及ばない状態」になった場合に、理想像に捉われすぎるべきではない、ということです。
企業の目的は「顧客の創造」であったり「利益」であったり、あるいは「自己実現」であったり、各企業に様々な想いがあるとは思いますが、そこから逆算したところに、仮に(※)具体的な利益の数値目標があるとします。
(※これはただ「目的設定」のわかりやすい例としてあげたもので、決して企業の最終的な目的が利潤追求であるという話ではありませんので、そこらへん誤解のないようにお願いします…。)
そうすると、組織の目的は「数値目標の達成」であり、さきほど述べた「企業の理想像を追求すること」は最も合理的に目的達成に向かうための手段でしかないと言うことです。
「最も合理的に(しかも平和的に)目的達成に向かうための手段」であるが故に、それを追求するのは非常に重要だとは思うし、その努力を怠ると、最終的にその組織は個人にとっての所属の意義を失い、崩壊してしまうだろうとも思います。
しかし、あくまでも目的は「数値目標の達成」であることは忘れるべきではなく、最終的な、というよりいわゆる局地戦的なところでは、理想像の追求を妥協して、目的達成のために機能する仕組み(規律やルールなど)を導入するという判断が必要になることもある、ということです。
規律やルールによる支配をおおもとに据えてしまうことが良いとは全然思いませんが、かと言って理想像の追求自体が目的にすりかわって、結果的に本来の目的を達成できないのであれば、それこそ「一生懸命頑張れば、結果はあとからついてくる」って言いながら、それなりの練習しかせずに結局結果がついてこない弱小運動部と同じになってしまうのではないかなと思うのです。
・・・。
最後に結局「運動部」とか入れてしまう頑固なキュウモトですが。
今回は、できる限り読み手の人に伝わる言葉で書いたつもりです。
このことについては、またおいおい書いていこうと思いますので、更新頻度はあんまり高くありませんが、これからもcommunication cue.をよろしくお願いします。
半生を競技に捧げてきた私にとって、「運動部」というのは「目的達成をシビアに求める集団」としてすんなり置き換えられましたが、その認識というのは、たとえば部活で結果を残さないと退学に追い込まれる立場の特待生であったり、その道でプロになること以外将来が見えない一本気な選手であったり、そこまではいかなくても、競技で結果を残すためだけに学校を選んで生活時間のすべてを捧げてきた人間であったり、「とにかく結果を残さずに終えるわけにはいかない」という圧倒的なプレッシャーのもとで競技に励んだことのある人間特有のものなのだと思います。
多くの人にとって運動部としての「勝ちたい」という気持ちは、単なる努力目標とかただの希望といった認識なのだと、トラックバックを頂いた方のエントリーを読んだり、あるいはうちの社長と話したりして、気がつきました。偉そうなこと書いてるわりに、読み手のことを配慮していないダメな私でした。すみません。
そして、「運動部」が「目的達成をシビアに求める集団」としてすんなり置き換わらない人が読んだときに、私のエントリーが「運動部のようにがちがちに縛ってやるべし」と言っているような印象を受けるのも、「複雑に入り組んだビジネス社会に適合させるのは難しい非現実的な甘い言い分」だと思われるのも、納得できました。私にとっては、それは完全に誤認なのですが、でもそういう風に捉えられても仕方のない書き方をしたと思います。
「強いチームを作るには、上下関係は必要です」と書いたのも、決して「強い企業を作るには、上下関係が必要です」という意図ではなく、あくまでも、まだまだコドモである高校生の部活動レベルで『緊張感を保持』するための象徴的な方法論として表題的に謳った言葉です。企業において、必ずしも「上下関係」が緊張感の保持の方法として取り上げられるべきだとは私も思っていません。
それから、「俺の背中を見て育て法」に関しては、勢い任せにネーミングしたせいで、かなり本質を見落とされる結果になってしまいました。これは完全に私の過失です。すみません(すみませんっていうのも変かな)。
「俺の背中を見て」なんて言うと、まるで寡黙で不器用なリーダーが黙々と頑張っている姿が目に浮かびますが、これは、端的に言えば「自発的にモチベーションを向上させる法」という意味でした。
その方法は、リーダー自らが頑張っている姿を見せることであったり、時には叱咤の言葉であったり、リーダーとその下にいる人間とのコミュニケーションの中で自然にメンバーが頑張ろうと思える環境をつくる、という意味です。「俺の背中を見て」という表現は、その意味合いを非常に狭義に捉えさせてしまうもので、ここに結構大きな誤解を生んだ気がします。
重複になりますが、
これまでのエントリーで私が言いたかったことをもう一度。
「運動部」という概念を取り除いて説明させていただきます。
まず、前提として、「企業は、目的の達成をシビアに求められる組織である」というところを挙げます。
(もしもこの時点で首をひねられる方は、このへんの記事をいくら読んでも納得はいかないと思うので、また別の機会に。)
そして、企業の理想像は「リーダーが掲げるビジョンにメンバーが共感し、個々が高いモチベーションを維持しながら目的達成に向けて邁進している」ということだと私は考えています。そしてリーダーには、その理想像を追求する義務があるとも思っています。
つまりは「先見の明(企業が健全に発展し持続していくための的確な判断力)」や「求心力(メンバーとのコミュニケーションの中での自然なモチベーション管理能力)」の研鑽です。
しかし実際は、企業という複雑に入り組んだ大きな組織においては、ビジョンの共有や、全員が高いモチベーションを維持することはとても難しいはずです。リーダーがいかに研鑽を積もうとも、規模の拡大や企業としての段階の変化に応じて、求められる能力も変化し続けるわけですから。
つまり、管理能力が及ばずビジョンを共有できない者、モチベーションがとぎれた者を単純に排除するわけにもいかず、包括した状態で「目的達成に向けて邁進」しなければいけないことが多くなってくるわけです。
そしてここからが、私が先日までのエントリーで伝えようとしてうまくいかなかったところなのですが。
そういう「管理能力が及ばない状態」になった場合に、理想像に捉われすぎるべきではない、ということです。
企業の目的は「顧客の創造」であったり「利益」であったり、あるいは「自己実現」であったり、各企業に様々な想いがあるとは思いますが、そこから逆算したところに、仮に(※)具体的な利益の数値目標があるとします。
(※これはただ「目的設定」のわかりやすい例としてあげたもので、決して企業の最終的な目的が利潤追求であるという話ではありませんので、そこらへん誤解のないようにお願いします…。)
そうすると、組織の目的は「数値目標の達成」であり、さきほど述べた「企業の理想像を追求すること」は最も合理的に目的達成に向かうための手段でしかないと言うことです。
「最も合理的に(しかも平和的に)目的達成に向かうための手段」であるが故に、それを追求するのは非常に重要だとは思うし、その努力を怠ると、最終的にその組織は個人にとっての所属の意義を失い、崩壊してしまうだろうとも思います。
しかし、あくまでも目的は「数値目標の達成」であることは忘れるべきではなく、最終的な、というよりいわゆる局地戦的なところでは、理想像の追求を妥協して、目的達成のために機能する仕組み(規律やルールなど)を導入するという判断が必要になることもある、ということです。
規律やルールによる支配をおおもとに据えてしまうことが良いとは全然思いませんが、かと言って理想像の追求自体が目的にすりかわって、結果的に本来の目的を達成できないのであれば、それこそ「一生懸命頑張れば、結果はあとからついてくる」って言いながら、それなりの練習しかせずに結局結果がついてこない弱小運動部と同じになってしまうのではないかなと思うのです。
・・・。
最後に結局「運動部」とか入れてしまう頑固なキュウモトですが。
今回は、できる限り読み手の人に伝わる言葉で書いたつもりです。
追伸。
今回はあえて深くつっこまずに話しましたが、いちばん大変な課題は、途中に少し触れた、リーダーの「先見の明(企業が健全に発展し持続していくための的確な判断力)」や「求心力(メンバーとのコミュニケーションの中での自然なモチベーション管理能力)」の研鑽、の、具体的な方法であるという認識も持っています。このことについては、またおいおい書いていこうと思いますので、更新頻度はあんまり高くありませんが、これからもcommunication cue.をよろしくお願いします。

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